おりひめ7-2(追憶) [おりひめ]
訃報です・・・
R2年9月12日(土)
ミズノ氏から松之山のオカヤマ先生宅の電話が【現在使われておりません】
繋がらないと連絡あり
同9月13日(日)
同9月13日(日)
ミズノ、千葉県在住の先生の奥様に連絡
去年の暮に「少雪をついてキノコ採り(?)に出掛ける」と言ったきり、今日までついに帰らず 地元の人が懸命に探してくれましたが ようやく諦めと踏ん切りがつき、先月8月に松之山の家を引払い 電話も解約したとの事
突然の訃報に言葉もありません・・・
先生:「山菜もキノコもどこにあるかみんな頭にインプットされてるよ」「散歩がてら20Km位歩けば山菜もキノコもドッサリだよ」
私:「先生、そりゃ散歩じゃなくて立派なトレッキングですよ~」
多分、滑落による負傷のための歩行困難、低体温症・・・
沢筋のどこか深い藪の中に隠れて居られるのなら
発見はこの先も難しいのかも・・・
自分だけの秘密の場所が逆に仇になったのかも知れません・・・
でも、シミズ氏が言う通り「自分の生き方を貫かれ自然へ帰って行かれた先生は幸せだったのかも」
先生を偲び過去のおりひめ寄稿文再掲します(奇しくも遭難の記述があり悲しいです)
瞑目 合掌
或るイメージ
僕は、音楽が好きだ。文学が好きだ。スポーツが好きだ。そして、自然が、特に山が好きだ。専門的知識など何もないし、数多く登ってもいないけれども、山が大好きである。僕は時々、山について或るイメージを夢見る。
真夜中、誰もいない白銀の冬山を、僕はひとり、月の光を背に受けてシュプールを描く。サイレント映画のスローモーションの場面のように。処女雪は、柔らかく僕をつつみ、舞い上がる粉雪の中で、僕は完全に重量感を失う。二本のスキーは、生き物のように雪の中をぬめる。不意に現れる目の前のギャップを、ふわっと僕は飛び越える。僕の身体は空中に浮かび、雪煙の中で、カミソリのようにエッジが光る。スキーが再び雪面に着く瞬間に、僕の姿は形而上の世界に昇華して、雪の精と化した僕は、白い恋人の中に残された一本のシュプールを眺めている・・・・・・
或る日、白骨化した遭難死体が、虚ろな眼で沢蟹の遊ぶのを眺めていた。たえずぶつぶつ独りごとを言っていた。
「私が死んだのは三年前。あの岩から落ちたのだ。私には両親とひとりの恋人がいた。三人とも、全財産を投げうって私を捜索してくれた。でも、もう、諦めたようだ。無理もない。読経の声も聞かずに、私は死んだ。雪が消えると、毎年自然が花を手向けてくれた。私は淋しくなんかない。ほら、両足と右の腕がないだろう。二年前の雪崩が、右脚を持っていった。去年の冬は左脚を、今年が右腕をもぎ取っていった。けれど、このエンゲージリングだけは、今もここに残っているよ。」
山はいいものだ。僕自身、1年中、山とは縁が切れない。春は山菜採り、夏は登山、秋は紅葉狩り、冬はスキー。息子も僕に似たのか、特に夏休みなどは、毎日毎日飽きもせずに近所の山で一日中虫を追っかけている。
山岳部の皆さん、君たちは良い部を選んだと思う。登山は苦しく、地味なスポーツだ。決して華やかではない。自分勝手な行動は時に死を招く。
けれども、そうであるが故に、他のスポーツと違った真剣さと良さがある。心の触れあい、忍耐、冷静な判断力、連帯感、責任感、一糸乱れぬ団体行動。奉仕。
君たちは、山岳部活動を通じてこれらのことを実感として学ぶことが出来たはずだ。
山岳部の合宿には二度参加させてもらった。春の巻機合宿と、夏の鳥海登山であった。学年別の分担による入念な事前準備、山荘や山での男子に劣らない活躍ぶりとガンバリ。それぞれに強く印象づけられた。本当にお世話になりました。良い顧問に恵まれ、君たちは幸せだと思う。三年生は三年間よく頑張った。見事な活躍ぶり。一,二年生も、途中で挫けることなく、最後まで続けてほしいと思う。
三年間の経験は、必ずや君たちの人生にプラスすることを確信しています。
おりひめ第7号より転載
学生時代:「君たち 鯉(コイ)の一番美味しい食べ方 なんだか知ってるか?」
「知りませ~ん」
「それはね こいの笹焼き (恋の囁き)だよ・・・」
だじゃれが好きでロマンチストな英語の先生でした。
O先生、リタイア後は千葉の房総に居を構えるかたわら、最後の赴任地、松之山の離農農家を借りて晴耕雨読、悠々自適の生活を楽しんでおられます。
あ!オカヤマ先生だ!・・・と思ったら山学同志会の小西政継さんでした
南無阿弥陀仏
by 夏炉冬扇 (2020-09-15 08:27)