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おりひめ24 [おりひめ]

素敵な文章発見!
 
送別山行(やっと解けた方程式)

「送別山行」
自分には到底手に届かなかったものなのに、なぜかこの日を迎えることができた。
二年前、本当にこの部がイヤになり、明日にでもやめようと思っていた私がこうして「送別山行」を迎えることができたのは、先生や先輩の励まし、同輩との友情、後輩たちとの信頼などがあったためである。

しかし、なんといっても一番の理由は私の親不孝のせいである。
高校へ入って間もない頃、私は安易な理由でこの山岳部に入部した。もちろん家族は良い顔をしなかった。特に父は断固反対した。しかし、普段から父に反抗していた私が父の言うことをきいて、入部を撤回するわけがない。
私はそのまま父の反対を押し切って春季大会に臨むことになった。父はとうとう大会の日の朝まで良い顔をしなかった。おまけに私に大きな荷物を一つ「ドスン」と背中に投げつけた。

それは、以前から体調が悪いと訴えていた父の虫が知らせたのだろうか。
「和佳が山から帰って来る頃には、俺はもう白木の箱に入っている。」と一言つぶやいたのだった。
私はその言葉を無視するかのように浅草岳へと足を運んだ。

それから一週間後、父は本当に白木の箱へ入ってしまった。私は山岳部へ入部したことが父への最後の親不孝になってしまったことがとても悔しくてたまらなかった。
そう思うと部活はちっとも楽しくなく、私にとってマイナスの面だけをつきつけた。かといって部をやめることは、私のプライドが許さなかった。
私は父に対しては強気だった。だからあれほど反対されても入部した山岳部をやめるのは
父があの世で「ホラ、やっばり和佳には山岳部はムリだったんだ。」と笑われているようで、仏壇に手を合わせるのさえ恥ずかしいと思った。
それに、「私は母子家庭だから登山なんてやってられないヨ」といったように、いじけた」高校生活をあと二年以上も送るのは私には堪えられないことだった。

解答が出ないまま一年の三学期を迎えた。でも、私には本当に限界だった。父のことだけでなく、その他諸々の理由でこれ以上、この部にいるのは堪えられなかった。
それでも、成り行きで、春山合宿まで参加することになった。しかし、その合宿が私に解答を与えてくれた。合宿の日々は毎日がとても充実していて私にこれまでにない壮快感を与えてくれた。

この頃から私の父に対する親不孝の考え方が変わってきた。
今まではこの部に入部したことが親不孝とばかり思っていた。しかし、 もしかしたら、この親不孝を親行孝へつなげる方法があるかもしれない。私がこの部に入ったこ
とにより、充実した高校生活を送ることができたら、きっと父も喜んでくれるだろう。」
そう考えると部活が楽しくなり、思わぬ出来事も次々と転がってきた。

まず廃部寸前の女子部に十一人もの一年生が入部したり、行けるはずのない北海道のキップを手にしたり。恐しいほど何もかもうまくいった。
「もしかしたらこれは父が …… 。」などとかってな想像をしたくなるほどだった。

長々と父のことを綴ってきたが、やっばりこの送別を迎えることができた一番の理由は父のおかげである。
そんなことをずっと思いながら最後の山荘の夜をすごした。ランプのほのかな明かりとは対照的に一つ一つの思い出が鮮明に蘇ってきたあの夜。
沢山の後輩に囲まれてあの狭い部屋をぎっしりと埋め尽くしたあの窮屈な感覚。

私は一生忘れない。そして今、二年前に先輩たちが言った言葉を思い出す。
「やっと山が楽しくなるころ、部活を引退しなくてはならないね。」
私にもこの言葉の意味がわかる日が来た。今やっと、長い方程式が解けたような気がする。

おりひめ第24号より転載
 


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