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おりひめ17 [おりひめ]

新顧問のS先生です

雑  感

 「おりひめ」編集責任者である白井前部長が、「H、S両先生は、数十枚の大作をものされましたよ。あなたも当然、原稿を・・・・・・。」と私のところに来る。彼は、私の怠慢を侮蔑と哀れみをもって非難しているのだ。だが、彼はあくまで職務に忠実であって、ひたすら正しく、悪いのは私なのだ。
 「おりひめ」の原稿が書けない。虚心に今年一年間の山行を振り返っても、断片的な情景が浮かぶだけで、それはそれで非常に鮮やかなのだが、しかし一向にまとまらない。かと言って、コースタイムを羅列したような文章は書きたくない。ほとほと自分自身が情けなくなった。
 
山に対する私の姿勢があまりに脆弱なため、いつも何一つつかまずに山を通り過ぎているからだろうか。どうも、そうに違いない。
それなら、しかたがない。無能な自分を呪って、諦めるしかない。
 
今年の「おりひめ」には、山のことは書けそうもない。山に関しては、両先生にお任せして、私は全く山に関係のないことを書こう。おそらく、「おりひめ」はじまって以来のことだろう。

 
実は先日、車の中で懐かしい曲を間いた。マイペースの「東京」だった。それは八年前、私が東京を離れて、赴任地、新発田で新参者として無我夢中で突っ走っていた、昭和四十九年の春頃にヒットしていた。当時、私はこの曲を聞いて.故郷新潟に戻ったうれしさよりも、東京を離れた淋しさの方を強く感じたのを覚えている。
 
東高山岳部からも、多くの先輩たちが東京に出て行ったに違いない。私が顧問をさせてもらってからも、本田、皆川、湯沢の三人が出て行った。今年は松井が出て行く。来年も、きっと、誰かが出て行くだろう。彼らは東京で、まさに青春時代の真っ只中の数年間を過ごすことになる。
 
彼らにとって、東京とはどういう意味を持つのだろうか。東高山岳部が貴重な体験の場であったと同じように、東京も彼らにとって、生の根源にかかわるような何かをもたらすのだろうか……。
 
マイペースの「東京」を聞きながら、私は私自身の数年間の東京生活を思い出していた。私にとって、東京とは何だったのか。しきりに気になり出した。今、それを考えるのも悪くはないだろう。自らの青春時代を追体験することで、今の私には欠落している何かを発見できるかもしれない。

 
私にとって、東京とは何か。もちろん、それは政治、経済、文化などの観点からとらえた東京ではない。それは私自身とは何の精神的なつながりもない、歯の浮くようなものだ。私にとって意味のあるのは、私と東京との内面的なつながりを意識できるような思考だ。
つまり、私の内部にある東京だ。
 灰色の空気が層を成している固体の街。巨大な意志と愛欲の集積する街。善悪美醜の洪水の街。コンクリートの迷路、うごめく群集。雑踏、喧騒、氾濫。自然から遠のいた薄汚れた人工的な街でありながら、洗練されたアバンギャルドの街。最も際立った危機感のある街。私が、時には飛ぶように、時には這うように生きた街……。
 
私は私自身の内部に感性的にとらえられている東京についてのイメージを追いかけてみて、私は東京が好きであり、私の青春時代は東京とイコールで結ばれていることを感じる。私の東京における青春時代史は、充実した孤独と憂愁に彩られている。
 
東京はあふれるほどの未知なものを提供してくれた。ためらうことなく私に未知な世界への郷愁を抱かせてくれた。私自身を見つめさせ、私自身の限界を暗示してくれた。
 
私はいつの日か、東高山岳部から東京に出て行った部員個々人に、彼らの心の故郷である巻機山清水山荘で、「私にとって、東京とは何か。」を語って欲しい思いがしきりにしている。

おりひめ第17号より転載


shibuya_1.jpg


私、渋谷パルコも表参道も議事堂も行ったことがありませんが。kurakichiさんのブログのように自然が多い一面もあり、色々な意味で懐が深い街・・・それが東京だと思います。




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