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おりひめ14-2 [おりひめ]

「ピッコロ9」より連綿と続いてきたH先生のヒマラヤ遠征記もいよいよ最終章です。
最後を飾り全文掲載します。(長いです)

遠 征 の 終 焉
◎孔雀の扇
インド・ナショナルバンクでトラベラー・チェックをドルに現金化し、少し金持ちの気分になる。三人でインド国立商品陳列館へ行ってみることにする。何か適当ないい土産物が買えるかもしれない。コンノット・プレスを右廻りに歩き、ホテルの正反対の№八ラジアル・ロードへ行った。 そこはJALのある通りで四車線もある立派な道路だ。歩道は人でごった返している。(ナッパ服もあればサリーもあり、最も標準的なのは白Y シャツにステテコ姿。サンダル穿きか裸足が圧倒的に多い。

そんな中の一人が孔雀の羽根で作った扇を沢山持って売り歩いていた。インド人には勿論売れない。我々をみつけるといいカモをみつけたとばかり、鼻髭をピクピク動かし愛想よい笑いを浮かべて向って来た。

男の持っている扇の大きさは、直径三十Cm位の小さいのと、一方、直径一m もある大きいのと二種類ある。流石デリーの大道商人だけあって、客慣れしていた。大きい方に我々の眼が集っているのをみてとると、「ビッグ・イズ・フィフテーン・ルピース・べリー・ロー・ペイ」沢山の扇を振り振り寄って来た。「小さいのはもうカトマンズで買った」と言うと、大きいのがいいと勧める。こっちも相談して半値にまけたら買おうということにする。冷やかし半分に二本でいくらか?と聞くと、ちょっと考えて、あたかも我々の腹を見透かしたかの如く、「ツー・フィフテーン・OK ?」さすが感の良さ!と驚く。そこで、すかさずもう一声。「ワン・セブン・ルピース」彼は一瞬戸惑って、しばらく考えてから、どう納得したのか、OK!OK!と二つ返事だ。三本も一度に売れるのだから半額以下になっても彼は儲けたつもりなのかもしれない。彼の計算はどうだったのだろう。あるいは案外、仕入が五ルピーぐらいで結構儲けられたのかもしれない。

でも孔雀の尾羽根一本百円もするのを四十本以上使ってある豪華な品物だから、到底日本では三百五十円で買える代物ではないし、有る筈もない。

 扇を手にし、国営の鉄筋でできた土産物陳列場に入る。さすが国営だけあって、各州、各地方の物産が並んでいる。青銅製品・象牙製品・宝石類・毛皮類が、ぎっしり並べられ、眼を見張るものばかりである。そこで真鍛製の首の長い、エキゾチックな模様の彫り込みと彩色の施してある水差しや、コップそれに象牙製のペーパー、ナイフなどを購入する。

◎デリーの「銀座」で食事をする。
 少々 、暑さバテしたので宿へ帰って一休みする。夕食はちょっと豪勢にしようと衆議一決、街のレストランへ繰り出す。

通りへ出るとさすがべテランのY氏だ、目ざとくすぐ近くに『銀座』いう店をみつけた。ちゃんと日本語の漢字で行燈風の街灯に書いてあった。中に入ると、眩いばかりのシャンデリアが輝き、予約客四十人位の席の準備中だった。我々は端っこの方に席をとる。日本なら入るとすぐさしずめ冷水か、お茶のサービスがあるのに、サービスだと思って頼んだグリーン・テーがなんと一杯二百円もした。そのあと、米の飯が恋しく、チャーハンとスープを註文する。一人前三百八十円なのだから、グリーン・テーがいかに高かったかがわかる。もっともお茶は摺り鉢型の大きな白磁に紺色の紋様のある綺麗な茶碗に入れてあり、いい香りがした。

久し振りに炊いた米の飯にありつくことができたし、お茶も飲めた。もっとも外米特有のあの匂いだけは、どうしても馴染めないので、赤い、凄く辛い「チリ」をたっぶりまぶして匂いを消して食べないととても喉が通らない。

帰り路、注意しながら歩いてくると『みかど』と日本語のひら仮名で書いた瀟洒なレストランがあった。ここは明日の夜の楽しみにしようということで、ホテルに帰る。この第四ラジァル・ロードが一帯はもしかしたら日本街なのかもしれない。明日はいよいよ待望の夕ジ・マハール行きだ。早朝の出発が気になり明日の旅を夢に描きながら、早めに眠りにつく。

◎タジ・マハール
六時、眼醒める。共同洗面所へ行って顔を洗い、用を済す。Y嬢も勿論張り切っている。亜熱帯の朝は霧もなく爽やかだ、下の広場へ出ろともう車のエンジンをかけて、運ちゃんが待っていた。早い時間なので、互いに待つ人と待たれる人は、外人でも意志が通ずる。
「ゴー・トウ・タジ・マハール?OK ?」「イエス」「アイ・セイ。ウェイト・ユー。ジャスト・モーメント」二言、三言やりとりするうちにY氏が駆けつけ、六時三十分、ハイヤーはコンノット・ブレスを出発する。第八ラジアル・ロードからスーザン・ロードへ出てスピードを上げながらインド門へ向う。『 ゲート・オブ・インデア』 は、第一次大戦の戦没インド兵一万三千五百十六人の名を刻んだ、高さ四十Mのパリの凱施門によく似た形をした堂々たるものだ。
ここでしばらく車から降り早朝の冷気で眠気を醒す。早すぎてか広場の鳩も動きが鈍い。ひとしきり記念撮影などをし、所期の目的に向かって出発する。

 デリー郊外近くなり、女学生の登校姿が目にとびこんできた。街路樹の下を皮鞄を持った生徒達が嬉々と行く姿は、どこの国も同じだ。
それにしてもこんなに早く、夏時間制なのかな?細身のスラックスに紺の薄い布を首に巻いて、さっそうと潤歩する姿は、朝の爽やかさにふさわしく、フレッシュである。

やがて街路樹もなくなり田舎へ入る。朝の市場へ急ぐ牛車に行き会う。荷台にはココヤシの大きな実が満載され、引き牛は一頭のもあれば二連のものもある。みんな水牛が引張っている。一つ二つやり過したが延々と続いている。朝のラッシュだ。ふり返えると、ココヤシの実の上に白いワイシャッ姿の青年が、どの車にも一人か二人乗っている。きっとデリーの市場でせり売りが開かれるのだろう。

 亜大陸の舗装路は南へとどこまでも続く、途中の部落へくると真鍮の水瓶を頭に載せ、片手で支えた主婦達が、四・五人道路端を歩いている。遠く先の力で道を横切り河辺へ水汲みに、降りて行く女性もいる。朝食の仕度の水を取りに行くのか、賑やかに三々五々。連れ立って楽しそうに語り合いながら行く、一日の生活の始まりなのだ。一昔前の日本の井戸端会議が始まるのだろう。青空に浮かぶ白雲が水面に反射して美しい。運ちゃんの年令を聞くと、二十五才だという。さすが隠しきれず、三ケ月前に結婚したばかりだと照れながら告白した。照れていると思ったのは我々だけで、かえって外人は聞かれなくても進んで人に話すのかもしれない。奥さんの事や結婚式の事など聞きたいのだが、細い心の動きなど通ずる術もなく(多くのインド人の英語は、わかりにくい。)昨日買った孔雀の扇の事などを話題にする。途中、第二ムガール帝国時代のフマユン城に立ち寄る。赤い城門を入ると両側にヤシの並木が続き、最奥部には栄華を極めた雄大な居城があった。白の大理石ドームはこれから行かんとするタジ・マハールの前奏にふさわしいものであった。

車は更に南下する。道端に四頭の巨象と、一頭の子象をつれた一団に出合う。真横に来たら象の腹が窓一杯になり、なんにも見えなくな
った。運ちゃんいわく。「ワン・ルビース・ショウ」だと、車を止めて象の芸を見ると、一ルピーとられるのだ。例のコブラ・ダンスと同じ物だ。せっかくの異国情緒もぶち壊し。象が座ったり、ちんちんしたりするショーは、もうサーカスでお馴染みなので見なくてもいい。

もう十時近い。早朝は少し涼しかったのに、車窓の風景はいつの間にか強烈な日射しに変わり、今日も暑熱が襲い、半袖、短バンなのに汗が出る。やっとアグラ市の市街へ入る。
間もなく決隆寺の門前町のような賑わいのする広場へ車が着いた。運転手の案内で人を掻き分けながら入場の札売り場へゆく。行列を作っている。入場料は意外と安い。門を潜って中に入ると、両側一杯に仏像とその写真、絵葉書や宝石、それに小物売場がずらりと並んでいた。その間を通り抜け、広壮に立ちはだかる赤い門を左に折れると、其処には目をあざむく、夢にまで見た白並の殿堂が凝然と現われた。

「これぞまさしく、タジ(王冠)・マハール(殿堂)だ!」碧い空の中、白大理石のためにそのあたり一帯が、ハレーションを起こし象牙色に輝いてみえる。
中央の水路に沿って緑の植え込みが整然と並び、数百m の奥にその距離を感じさせない大きさで調和のとれた大理石のモスクがたたずんでいた。歩いている人間のなんと小さいことか!

今から四百五十年前、ムガール王朝の最盛期に、シャージャハン皇帝がその財力に物をいわせ、妃に対する限りない優しい、慈しみの情から巨億の工事費を注ぎ込み、二十二年の歳月をかけて完成したものである。工匠は遠く西欧からも呼び寄せられたという。

贅と美の極限であろう。皇帝はなおもその上にャムナ河の対岸に、自分のためにも同じものを作り、銀の橋で結ぶ構想を持っていたのだという。人間の欲望もそこまでいくと広大無辺で愛らしさを憶える。
左手の地下室の人口で不浄な革靴は脱がなければならない。代りに五十円(入場料の五倍)の借用料を払って、スリッパのようなオーバー・シューズに穿きかえる。

磨きぬかれたホワイトマーブルは手に触れると、女人の肌のようにしっとりと吸いつ<感じだ。この石は四百Kmも離れたマルクラーナから運ばれたものだ。暗い中へ入ると丁度窓からさし込む光が、中央を照らし二つの枢が並んでいる。勿論王と后のものである。枢には碧玉・ルビイ・血石等の宝石で装飾され、三Cm四方の一つの花に六十種もの石が、嵌め込まれた象眼細工でできている。その枢を囲んでいる衡立ては、高さ一・八m の薄い大理石のもので、イスラムとヒンズー様式の絶妙に、混和した細い雁木模様が両側から透し彫りしてある。枢の安置した地下室から階段を昇ると、広いテラスに出る。高いモスクが見上げるように聳え、それは七十四m の高さがある。この大理石の大建造物は今真昼の陽光にまばゆく輝いているが、黄昏れ時には夕日に暖かく燃え上がり、月光の中では、青白く光彩を放ち、柔和な霊気を漂わせ、何ともいえぬ神秘的光景を呈し、人々を魅了する魔力があると言い伝えられている。
十一時過ぎ混雑はだんだんひどくなる。名残り惜しいけれども、そろそろ引き上げる潮時だ。


◎アグラ城からダイビング
雑踏を抜け出し、今度はアグラ城へ立ち寄る。赤い岩石の城門を潜って入ると今までのタジ・マハールの女性的優雅さとは、うって変って武骨な城塞になる。

高い壁に囲まれた長い緩やかな坂道が階段になっていないのは、馬で往き来したのにちがいない。上りきった中庭に出ると、中央には武
勲者のための広い表彰台があり、その奥に玉座がある。周囲の城壁は更に階段を昇って上に出ることができる。南の鐘廊へ行くと大きいヤムナ河の下流、遥るか彼方にさき程までいた壮麗な白い夕ジ・マハールが望見できた。

城壁の真下はヤムナ河が滔々と流れ、天燃の要塞をなしている。
さかんに人だかりがするので行ってみると、裸で褌一つのインド人がいる。聞けば五百円で城壁から十数m下の河へダイビングしてみせるのだという。金のためとはいえ、命知らずがいるものだ。水に跳び込まないうちに途中で、窒息するのでは?金をとられないうちに退散しよう。

◎大麻もどきのタバコ

アグラ市からの帰路、運転手君は沢山立ち並ぶキュリオ(骨董屋)の一つへ案内してくれた。ウィンドウにはペルシャ製の敷物や、毛皮・象牙が沢山並んでいるが、みんなゴージャスな高価なものばかり、とても手が出ない。
ハイヤーでタジ・マハールを往復する客だからよほど金持ちとみたらしい。しかし主人の名刺をもらったきりで外へ出る。

一時間程走り、昼食のためにドライブ・インへ寄る。そこには土間にテーブルだけが数ケ置いてあり、立ち食いだ。パンとコーヒーで腹を充たし、味気ないので外へ出ると今まで気がつかなかったが、沢山の蝶々が群がり飛んでいる。カバマダラ、ヒョウモンチョウ、タテハ類ジ口チョウ類。なんで捕虫網と三角紙を持ってこなかったのだろうと、今更悔やんでも始まらない。本能的に帽子を持って追いかける。鱗粉が剥げて可哀想になる。


新婚の運ちゃんがそわそわしている。そうだ彼は早く新妻のもとに帰りたいのだ。車に乗らなくては。発車後、間もなく百Km 近い猛スビードで飛ばす。はらはらさせられるが、舗装道路は比較的広いし、車も少い。しかし、おかしい事に三十分も走ると、時々 四十Km位にスローダウンする。よくみると運ちゃん居眠りをしているではないか。「はっ」と気がついて、又猛スピードでとばす。これはたまったものではない。新婚早々で眠いのもわかるし、早く帰りたいのもわかるが外国で自動車事故死してもつまらない。何とか眠気を醒まさせようと、Y氏が話しかけるが、うわの空、生返事しか返ってこない。又ぞろスピードが落ちる。デリー郊外のヤシの木や菩提樹の並木が見えて来た時は、ほっとした。まさに地獄に仏とはこのことかもしれない。四時二十分着、長い一日だった。運転手には、九千円を支払い五百円のチップを出すと、三拝・九拝して嬉んで帰って行った。


暑いのでやけに喉が渇く、水道水は恐くて飲めないし、安宿では飲料水のポット・サービスもない。インドが厳しく禁酒国を守っているのが解る気がする。エスキモーは寒さのために、酒びたりになり身を滅す破目になったが、インドが暑さのためにその二の舞いになってはならない。


冷えたビールとウィスキーを買って来て三人で乾盃する。このビールのうまさはどうだろう。


タ食は『みかど』へ行く。バンドがいるのでドルジェが得意気によく唱っていた『 ラブ・イン・東京』をリクエストしようか?と、Y氏がいうが、この店のムードからいくと高そうだから止めようということになる。だが案外、安いのかもしれない。価格の見当がつかないことが外国では一番不安だ。

日本人は何をみてもすぐ「ハウ、マッチ」を連発するそうだが、悪い習慣というよりも、不安と購買意欲のあらわれなのだ。例によって、チャーハンとスープ、三人分で〆て千百円也。安い!

夕暗迫るネオンの街に出る。熱帯夜は何処へ行っても暑苦しく身の置き処もない。


 煙草屋を訪ね歩きやっと探しあてる。第四ラジアル・ロードのデリー駅の引っ込み線の近くまで来てしまった。
うす暗い街路の真中に色とりどりの日用品雑貨や食べ物・果物を並べた屋台が裸電球に映し出された市場があった。一番はずれへくると何やらタバコらしいのが売っている。小指位の長い円錐形でカシワの葉?を丸めたようなものだ。これをさらに十本束にし、赤か緑の粗末な紙で包み、丁度クリスマスのクラッカーそっくりの形をして売っている。「ウオット・イズ・ゼス?」「オー・ゼス・イズ・タバッコ・ユー・テスト?」と一本火縄で火をつけてくれた。吸ってみると軽くてほとんど煙の味がしない。好奇心も手伝って、「ナイス・グッド。ハウ・マッチ」「ゼス・ワン・イズ・テンパイサー」一包五円である。早速三ケづつ買う。よくみるとインド人は大抵これを吸っている。これが羽田空港の税関で今流行のマリハナと間違われ、三十分以上足止めを食う原因になろうとは夢想だにしなかった。

 明日は、とうとうインドを去る日になった。思えばニケ月、前半は烈しい闘志をみらぎらせ山に挑み、望みを達した。今は予定の観光を終えて悔いるところはない。明日の出発が三時に早まったので、ホテルの支払いを済ませ、ザックをまとめ、ベットにひっくりかえる。ヤモリと共に早く寝よう。


◎木の歯ブラシ
真暗なうちに起き、ホテル・インデアを出てJALの事務所へ急ぐ。
バスの黄色い窓明りが無性に日本を想い出させる。三人のインド人が乗り合わせ、鈴木氏がその客の世話をしていた。

 もう生涯の間に二度とここへ来ることは、あるまい。何かまだやっておくことはなかったか?望郷の念と、まだ居たい名残り惜しさとが交錯する。バスは、個人のそれぞれの思考とは無関係に動き出した。第八ラジアル・ロードを南へ走り、ロータリーのあるデラックスなホテルへ、同じ飛行機へ乗る客のためにたち寄る。我々の泊った安宿とは雲泥の差だ。運ちゃんが客待ちの間に、ネムかアカシヤのような大きな木へ、するすると登って妙なことをはじめた。バスの明りでみえる木の股に腰を掛け、筆位の枝を折った。端の方を歯で皮を剥くと、夜目にも白々と木肌が浮かび出た。やがてその白い方を更に歯で噛み砕き、ボサボサにして、歯ブラシがわりに一生懸命口の中をみがきはじめた。口の端から抱が出て、ペッペッと唾を吐きながらやっている。
生木で歯をみがくとは妙な習慣があるものだ。本当に歯をみがいているのか、或るいは何かいい香りでもでて、楽しんでいるのか、さかんにゴシゴシ、ペッべッとやっている。何かのまじないなのかもしれない、我等の名ガイド・ドルジェ君がいれば忽ち得意気に名調子で説明してくれるのだが…… 。彼はもういない。ダージリンへ無事着いただろうか?

結局目的不明のまま、客がきたので歯ブラシ?をボイと捨て、運ちゃんはバスへ戻る。途中三ケ所ほど、いずれも豪勢なホテルへ止ってインド人の客をのせ、パーラム国際空港へ着く。塔乗客は三十人ほどのインド人と我々日本人の三人だ。チェック・インの後、機上の人となり出発を待つ。自由な独身貴族なら、まだまだ旅を続けるところなのだが。それでも日航のスチュワーデスの女性の顔が懐しい。

機は一路東へ向って飛び立つ。空はもう白み始めた。真直ぐ飛べば、ヒマラヤが見える筈だがそれは希望的観測にすぎない。いったんべンガル湾の洋上へ出て東進する。

給油のためバンコクへより、四時間後、香港島の対岸、九竜の啓徳飛行場へ着陸。朝食の機内サービスは、日本食を期待したが、やっぱりパンとコーヒーだった。香港はノー・ビザで七十二時間は滞在できる。予定通り香港で二泊することにする。


◎『純金』であふれる香港
 香港島へのフェリー・ポートは、二隻でしょっちゅう住復しているので、殆んど待つことは無い。木製の昔の国鉄のような改札口を通って乗船。もっとも日本の国鉄の技術導人は、イギリスからのものだから、こちらの方が大先輩になる訳だ。大陸の九竜(カオルン)半島と香港島の間の水路は十分足らずで渡ってしまう。対岸には高層ビルが所狭しと立ち並び、やけに日本の商社の大看板が目立つ。H・T・Mの電気メーカーの看板や、アメリカの空母と駆遂艦がシルバーグレイの艦体を浮かべていると、何だか横浜港へ着いたような
錯覚をおぼえる。島へつくと大きなビルが頭上を被うようにせまってくる。日射を遮え切るテント張りのポーチの歩道へ出ると、すぐタクシーがやって来た。ホテルの交渉をする。北緯二十二度の南国では九月末だというのに、まだやけに日射が強烈だ。残金はもう全部空港で香港ドルに換えてある。エアコン付きの安いホテルがあるというので案内させて行ってみることにする。雑居ビルの二階の奥に大きな扉があった。その扉の奥がホテルなのである。ホテルというより貸し部屋といった方が正しい。

 運転手は扉の横にあるフロントのマスターに何か連絡し、チッブをもらって帰って行った。大きい、いかつい扉を開けると廊下があり、左右に十室ほど部屋が並んでいる。個々の部屋には又鍵がついていて、マスターはその一つ八畳位の部屋の戸を開けた。鍵を二個渡しながら、「この辺は非常に危険なので、施鍵を厳重に守って下さい。小さいのは、この部屋の鍵、大きいのは帰って来た時、さっきの共通出人口の扉を開けるためのものです。」と、その使い方を詳しく説明し、飲み水をつめたビール瓶を置いて出ていった。ホテルとは名ばかりで、アパートにもう一つ共通扉がついたものと思えばよい。

ザックを片づけ、ビール瓶の水を飲み、ようやくほっとする。午後一階に下り、香港探訪に出る。
きすが世界の香港だ。ビルの中に縦横に通路が走り、時計・カメラ・貴金属・衣類・世界一流の商品が溢れんばかりに並んでいる。純金の指輪・腕輪がまばゆい。さすが免税の偉力がうかがわれる。
通路がビルの中なのか、外の道路なのか区別もつかない。
最も賑やかなここ、セントラルはビクトリャ・シテーともいわれ、
香港のメインストリートですぐ隣りに銀行街がある。
看板の字は、今までの横文字にくらべようやく縦書きの漢字が多くなり、なんとなく親しみを感じてほっとした気分になる。
観光案内所へ行き、市内(島内)見学の交渉をする。二時聞位タクシーで一巡し、一人二千円かかるのは高すぎる。そう広くもなさそう
なので山で鍛えた足を活用しよう。
二十分も島内の奥の方に向って歩くと、もう細い登り坂の道になり、難民の雑多なバラック建ての場末に行き当ってしまった。

 この坂の多い難民街と海岸通りの高層ビル街は、一体同じ経済基盤の上にあるのだろうか。と不思議でならない。この二つの好対照の街の中間に、名にし負う食料品店街と飯店街がズラリ軒を連らねているのである。裸のアヒルやニワトリが竹竿にぶらさがり、ブタの頭が並んでいる。こうなると奇異や気持ち悪さより、むしろ壮観で食欲がそそられるのが不思議だ。
昼めしはそれらの一軒へ入り、あっさり毎度のチャーハンとスープにし、帰途象牙製の扇や、ソファーの背当てを購人する。


◎香港の『 生寿司』
ホテルのすぐ近くに『東京』と書かれた寿司屋を発見し、大よろこびでとび込む。ところがそれがなんと二十階もあるビルの七階にあった。それでも、マグロのトロやイカがあり、日本酒にもありつけた。聞けば毎日、航空便で日本から「ネタ」を取り寄せているという。ホステスはタスキ掛けに割烹着姿だった。着物姿を見るのは二ケ月ぶりである。もう日本は近いのだ。

夜の香港は恐ろしいというが、やはり百万ドルの夜景は素晴らしい。スチールカメラと八ミリカメラに納める。二日目、島の反対側、即ち南側にあるジャンクの水上生活者達、蛋民の様子を見に行きたいのだが、こっちも蛋民なみに足代にも事欠く始末になったのであきらめざるを得なかった。それだけが心残りになった。しかし、九竜の啓徳飛行場まで行く金だけは確保しておかなければならない。乗ってしまって羽田に着けば、丸裸でも家族が待っている。
なんとしてもそれまでは、綿密に計算せねばならない。仕方なしに安い五分床屋に入る。
九月二十四日。出発してから丁度二ケ月目、香港を出発する。

 飛行機はビルの林を後に飛び立ち、間もなく海上へ出る。眼下には、南海の青海原の中、白い波に囲まれた美しい珊瑚礁が点在する。

遠征は終ったのだ。羽田空港の税関倉庫には、八千丁にものぼるグルカ・ナイフが保管されている。私達遠征隊は十二月末、横浜港に着いた三ケの木箱につめられた装備を取りに行った際、空港の税関とかけ合い、グルカ・ナイフを贈答記念品として取り扱ってもらい、刀剣所持許可証と一緒にそれぞれ三丁の所有を認可された。

日本でグルカ・ナイフは見ることができない、すべて税関の保管庫に眠っているのである。我々のみがそれを持っているのは、マナリー遠征の太い絆で三人が結ばれているからである。


あの八月二十二日マナリー峯に降った雪は、初雪だったのだろうか?それとも最後の降雪だったのだろうか?

深く詮索する問題でもないし、そのつもりもない

いつも降っているのだから。

ヒマラヤの雪は永遠である。

インド~1.jpg


おりひめ第14号より転載


 羨ましいな~。

 私もインドヒマラヤへのトレッキングに憧れています。
気はやさしくて力もちのガイドを雇って、朝は彼の「グッモーニング、サー!」の声で目覚め、「モーニングティー、サー!」と、テントの入口から差し出された、旧英領仕込みのミルクティーを味わいます。エスニックな朝食の後、「ぼちぼち行こうか」と出発。自分のペースで歩いて、疲れたらその日は終了。ガイド君は器用に泥をこねてカマドを作ります。そこで焼いた「ナン」と本場の「カレー」の美味いこと。酒は火の酒・・・あれ、インドは禁酒国だっけ?まぁ何はなくても空には満天の星。「サーブ(旦那)明日も晴れますぜ!」「明日はなんとかマナリーの見える所まで頑張りましょうや・・・」
 こんな調子でヒマラヤを拝む事ができたなら、最高の贅沢でしょうネー
 円が強いうちに実現したい夢・・・無理かな?

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夏炉冬扇

お早うご゛さいます。
クジャクの羽の扇、ぎゃらりぃに飾りたいです。
by 夏炉冬扇 (2012-02-09 07:34) 

taku1_lily

こんばんはー
私も1mもあるクジャクの羽の扇見てみたいです。
H先生の書斎には2度伺いましたが
なかったナ~!
インド・・・行ってみたい。
by taku1_lily (2012-02-09 20:57) 

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