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おりひめ19-2 [おりひめ]

S先生が 再度、山とは直接関係ない名文を寄稿しています。
前の寄稿はhttp://blog.so-net.ne.jp/taku1toshi/2012-04-21

題して「ある青年教師の悩み」?
                       昔話をひとつ

 私はどう考えてもネクラな人間のようだ。このところ身辺には落ち込むことばかり起こって、正直、陰陰滅滅としている。

 思考の糸は未来に向かうことはなく、ひたすら過去に向かう。それも十数年前の学生時代に思いを馳せる。まるで救いを求めているかのように。
 友人 Y との思い出を記そう。
Y は私にとっては畏友であった。つまらない講義などサボッて一緒に喫茶店で談笑するといった友人ではなかった。「あの先生の講義は最低だ。自分の著書を学生に買わせ、それをダラダラと読み進めるのがあの先生の講義だ。サボ夕ージュ、サボタージュリそういう友人ではなかったのである。  「つまらぬ講義だからこそ出席する そういう友人であった。
 
Y は強い自我の持ち主だった。自分の納得のいかないことに対しては、大勢順応な私などとは比較にならぬほどの拒否反応を示した。依怙地とほとんど偏執的とさえ見られる意固地さであった。
Y にはまた、確固とした独自の論理性があり、他人の介入を許す余地はなかった。
だから Y は、私たちのグループでは白眼視される存在だった。講義中でも、 Y は徹底して最前列の席にただ一人でぽつんとすわり続け、後列には私たちがすわった。
 
私は Y の物事に対する考え方、つまり Y 独自の論理性に興味を持っていた。いや、興味よりも羨望を待っていたといった方が正しい。
私は常に自分の論理性薄弱を意識し、劣等感に悩まされていた。友人たちとの交際で最も自己を主張する有効な手段は、それぞれの持っている固有な論理性だったのである。

私はその点において強く Y を必要としたのであろう。私は友人たちの「お前、よく Y と馬が合うなあ という言葉を尻目に Y との交際を始めた。交際してみて、やはり Y は尊敬に値する人物であり、 Y の論理性には頭をさげざるを得なかった。煙草をすわない Y は私の吐き出す煙にけむそうな顔をしながらも、私の持ち出す話題に対して、言葉少なではあるが的確に問題点を整理し明示した。
まことに恐れいった。客観的論理性よりも主観的心情的解釈を得意とする私はいつも聞き役であり、内心では自分の低能さを思い知らされていた。

 ある時、 Y と何を話していたのかもう記億にないが、私はあまりの劣等意識のため、ついに Y に向かって、「ぼくは君を尊敬している。強い人間だと思う。自分の中に確固としたものを持っている。止直いって、うらやましい」といったことがある。 Y は黙ってジーの顔を見ていた。それから次第に視線を Y の組み合わされた手の方に向け、とつとつと話し出した。「おれはただ自分の思うこ
とを言うまでだし、また自分の弱さを痛いはど知っている。むしろ、お前の考え方がうらやましい。自由に生きている感じがする」

最初、私は聞いていて、 Y が私の劣等意識丸出しの言葉に対して、慰めの気持ちでいってくれたのではないかと思った。しかし、 Y の表情は険しかったし、 Y は Y 自身の心の中であれこれ自問自答しているとしか思われなかった。

私はそんな Y に、「ぼくがうらやましい?僕は大勢順応で、自分というものがはっきりしていないんだ」と言った。

その後も二人の会話は続けられたが、どちらも口数が少なくなっていった。かなり長時間にわたって話したはずなのに、 Yも私もそれほど疲れは感じていなかったようだ。
 
この日の Y との交際は、おそらく私にとっては史上で最も静かなものあったろう。しかし、史上で二番目か。三番目くらいに貴重なものであった。

なぜなら、この日、私は新しい発見をした。それは私がYの中に私自身を見たということである。あの強い人間であるYの中に、私のような弱い人間を見い出したのである。そして同じように、 Y も私の中に Y 自身を見い出したにちがいない。

以来、私の Y を見る目は変わってきた。今までの受身的存在から積極的存在へと変わった。 Y は私のそういった姿勢に対して、拒否するどころか歓迎するように思われた。 Y の私を見る目も変わったのでろう。

私たちはより深くお互いの中に一歩踏み込んだことになり、より身近な存在としてお互いを理解したのである。
「人間なんて、みな同じだ。そんなにちがうはずはない」 と言われればそれまでだが、しかし、私にとっては、あるいは Y にとっては確かに貴重な発見だったのだ。

陰々滅々とした現在の私の日常を、かっての日と同じように Y に話したら、 Y は独自の論理性でもって、どのように考え、どのような表情で私に向かうだろうか。人間は人間を完全に理解することは不可能であろうが、過去のある時期において、より完全に近い理解を経験し合ったと思われる

友人は、ただ笑って私を見つめるだけであろうか。

「おりひめ第19号」より転載


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夏炉冬扇

こんばんは。
暑いです。
頭がはたらきません。
by 夏炉冬扇 (2014-07-22 18:27) 

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